<第3回>静岡の模型業界と共に歩んだ70年。波乱万丈ストーリー

ウッディジョー
木製帆船・建築模型キットの企画、製造、販売
◆目次◆
<第1回>日本唯一の木製帆船模型メーカーが拓く、ものづくりの未来
<第3回>静岡の模型業界と共に歩んだ70年。波乱万丈ストーリー
◆◇◇◇
ウッディジョーの創業は平成14年だが、模型との歴史は戦前、常木則男の先代(好一郎)に遡る。
「父は東京でタクシーの運転手をしていたんですが、その会社が倒産してしまって、静岡でバスの運転手などをしていました。」
一見模型とは関係のないキャリアだが、ひょんなことから模型の世界へと繋がっていく。
「当時は木製の模型が学校の教材として使われていて、模型の需要が非常にあった時代。とあるきっかけで木製素材を模型メーカーに提供し始めたのが、模型業界に足を踏み入れた始まりです。」
現在の名だたるプラモデルメーカーも、元を辿れば古くは木製模型メーカーだったことが多い。
その裏を支えていたのが、実は常木一家だったのだ。
◇◆◇◇
そんな歴史も手伝って、静岡の模型メーカー内でウッディジョーは一目置かれる存在だ。
「静岡の模型業界は仲が良かったので、みんな家に行ったり来たりしてましたね。」
静岡には模型メーカーが数十社あると言われる。お互いに切磋琢磨しながら模型市場を創り上げてきただけに、メーカー同士で戦友のような存在なのだ。
◇◇◆◇
そして平成14年、転機が訪れる。
ウッディジョーを創業し、自ら木製模型の開発を始めたきっかけは、木製模型を多く手がけていた静岡の老舗模型メーカー、イマイ(旧今井科学)の倒産だった。
「イマイさんとしても根強いファンがいるので、後を継いでくれないかという話でした。うちがやらない限り、今のファンたちはヨーロッパや北米の商品を買ってやるしかなくなる。ここで僕がやらなければ、日本で木製模型を作る人がいなくなる、という想いではじめました。」
当然、周囲は反対の嵐だったそう。
「当時イマイさんの木製模型は関係会社8社ぐらいの協力があって出来上がっていました。みんなイマイさんが倒産した時にがっくりしていたのに、 じゃあ僕が後を継ぐと言ったら『よせ、倒産した会社の商品をやっても同じことが起きる』と止められましたね。でも僕も若かったもんだから無理やり押し切って(笑)」
そう笑う常木だが、ただ商品を引き継ぐだけでなく、前述のレーザー加工機などの最新技術をいち早く取り入れ、イマイの商品をさらに進化させた。
常木の一見無謀とも言える挑戦が、日本製の木製模型を救ったのだ。
◇◇◇◆
最後に、木製模型作りに懸ける想いを書いていただいた。
「うちが苦しい時も、協力会社やお客様に支えてもらってなんとか乗り切ってきました。だからこそ、いま模型を作れる環境に感謝しながら、なんとか皆さんが楽しめる良いものを作り続けていきたいです。」
常木が模型業界と共に歩んだ壮絶な70年。
ウッディジョーはこれからも「常に木」の魅力を世界に広めていく。
(おわります)
取材・文・写真:小縣拓馬
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