<第1回>競技用けん玉生産「日本一」。山形工房が切り拓くけん玉の道

<第1回>競技用けん玉生産「日本一」。山形工房が切り拓くけん玉の道

<第1回>競技用けん玉生産「日本一」。山形工房が切り拓くけん玉の道

山形工房

競技用けん玉「大空」製造元

誰もが一度は遊んだことのある日本の伝統的遊び「けん玉」。

 

山形県長井市は「けん玉のふる里」として、町をあげて「けん玉」の普及に取り組む全国有数の「けん玉」のメッカ。ここ長井市で唯一、かつ、競技用けん玉の生産日本一を誇るメーカーが「山形工房」です。

 

今回のエピソードは、日本のけん玉文化を牽引し続ける山形工房、代表取締役社長の梅津雄治さんに、けん玉文化の歴史や、けん玉作りへの思いについて語っていただきます(全2回)

 

◆目次◆

<第1回>競技用けん玉生産日本一。山形工房が切り拓く「けん玉」の道

<第2回>ギネス世界記録達成!山形県長井市から「KENDAMA」文化を届ける

 

◆◇◇◇

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誰もがやったことのある「けん玉」ですが、その歴史はあまり知られていません。まずは、「けん玉」が日本で広まるまでの歴史をお聞かせください。

 

梅津:

諸説あるのですが、「けん玉」の起源は16世紀のフランス王室で遊ばれていた「ビル・ボケ」ではないかと言われています。

 

 

梅津:

日本では江戸時代の終わり頃に国内唯一の開港地だった長崎から伝わったと言われており、現在も長崎市は「けん玉伝承の地」として聖地のひとつになっています。

 

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海外発祥のものがどのように日本に普及していったのでしょうか。

 

梅津:

現在日本で普及しているけん玉の原型になったのは、大正7年に広島で考案された「日月ボール」。これが昭和に大流行し、一気に定着しました。

 

 

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なるほど。海外から来たものを再発明した、まさに日本らしいものづくりが背景にあったのですね。

 

梅津:

そうですね。この形のけん玉でできる技は3万種類以上あると言われています。そんな中で、楽しく競い合うための統一規格とルールを定めるために生まれたのが「競技用けん玉」でした。

 

◇◆◇◇

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「競技用けん玉」が誕生したのはいつ頃だったのでしょうか?

 

 

梅津:

競技用けん玉を始めた日本けん玉協会が発足したのが1975年。協会の初代会長を務めたのは、あの名作映画「南極物語」の原作である「タロ・ジロは生きていた」を書かれた藤原一生さんです。彼が単なる娯楽ではなく、競技を通して心身共に鍛える「けん玉道」として立ち上げられました。

 

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「けん玉道」、ですか。

 

梅津:

剣道などと同じように礼に始まり礼で終わる競技で、段位や級も定められています。けん玉を通して健全な教育に資することを目指して小学生を中心に学校教育でも取り入れられていて、文部科学大臣杯として文部科学省から後援をいただいた小学生の全国大会も毎年開催されているんです。

 

▲町内のけん玉道場では剣道などと同様、有段者の名前が掲載されている

 

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単なる娯楽を超えて文化として根付いているのですね。

 

梅津:

普及活動に取り組む方々の努力のおかげで、40年以上かけてここまで発展してきました。けん玉が盛んなここ山形県長井市では、授業や学童保育でもけん玉が盛んに行われています。

 

◇◇◆◇

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御社が「けん玉」の製造を開始されたきっかけをお聞かせください。

 

 

梅津:

ここ山形県長井市というのは「水と緑と花のまち、長井」というキャッチフレーズがつくほど自然が豊富な地域で、私の祖父である鈴木与三郎は最上川やその支流の水運を生かして木を運搬する「木流し」という仕事をしていました。そこで地元の木の木目の美しさに惚れ込み、木材を活用したモノづくりを始めようと1973年に創業しました。

 

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もともとは「木」を軸として創業されたのですね。木製品は色々ある中で、なぜ玩具や雑貨を作ろうと思われたのでしょうか?

 

梅津:

もともとコメ農家でもあったので、米粒に絵を描くなどの細かい手作業が得意だったんです。ダルマ落としやこけしなど、小物を中心としたモノづくりからスタートしました。

 

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そこから「けん玉」を作るようになったきっかけはなんだったのでしょうか?

 

梅津:

創業間もない頃に私の祖父が東京のデパートで催事販売をしていて、偶然、けん玉協会の初代会長である藤原一生さんと運命的な出会いを果たしたんです。その場で藤原さんに「競技用けん玉の規格に合った商品を作って欲しい」と依頼を受けて、製造をスタートしました。

 

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創業(1973年)とけん玉協会の発足(1975年)が同タイミングで、まさに運命的な出会いだったのですね。

 

梅津:

そうですね。1977年に日本で初めて競技用けん玉の製造を開始し、1978年には藤原一生会長から日本けん玉協会指定工場に選ばれています。

 

 

◇◇◇◆

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いまだに御社が競技用けん玉の生産では「日本一」だとお伺いしました。

 

 

梅津:

1990年に「日本一」と認定されて以来、これまでずっとその座を守ってきました。木材も90%以上は国内産を使用していますし、生産も山形県内ですべて実施しています。

 

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他にも競技用けん玉メーカーはたくさんあるのでしょうか?

 

梅津:

現在では5社が生産をしていますが、弊社以外はすべて海外製です。国内で生産できているのは弊社しかありません。

 

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あらためて御社の商品の特徴をお聞かせください。

 

 

梅津:

競技用けん玉は規格に厳密な規定があり、規定サイズを0.5mm逸脱してしまうと、規定品外品の扱いになってしまいます。そして製造精度が低いと技がやりづらいけん玉になってしまいます。なので、製造精度は負けない自信を持ってやっております。

 

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なるほど。わずかな誤差が競技者にとっては大きな不満足にもつながる商品なのですね。

 

 

梅津:

あとは使用する木材にもこだわっています。東北の厳しい風雪に耐えた木材は木目が細かく、粘り強く丈夫です。そして創業時の祖父の思いにもあったとおり、木目が美しいのです。

 

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木材は伸び縮みしたり個体差があるため、精度を出すのは難しそうです。

 

梅津:

そうですね。なので加工しやすく、かつ変形しづらい木材の含水率調整などは何度も試行錯誤して続けています。

 

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御社が日本の競技用けん玉を、日本のものづくりで生み出す最後の砦なのですね。

 

梅津:

これからも、日本の良き「けん玉文化」を日本のものづくりで、多くの人に届けていけるように頑張っていきます。

 

 

◇◇◇◇

長い歴史を経て立派な日本文化となった「けん玉」。その裏側には、普及に取り組むたくさんの人々、そして精度の高い商品を送り出し続けてきた山形工房の努力がありました。

次回、社長の梅津さんに、けん玉づくりに込めた思いを語っていただきます。

 

To be continued <第2回>ギネス世界記録達成!山形県長井市から世界へ「けん玉」文化を届ける

 

取材・文・写真:小縣拓馬

 

Youtubeチャンネルにて梅津社長の技動画も配信中!

 

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