<第2回>「パイプロイド」ディレクターが天職に行き着くまでの道のり

パイプロイド PIPEROID
日本の紙文化が生んだ21世紀の郷土玩具
古都、京都。「世の中を楽しくする会社」株式会社コトは、ここ京都の中心地から様々なエンタメ商品を20年以上企画し続けています。
今回は株式会社コトの軌跡やオリジナルヒットシリーズ「パイプロイド」の魅力についてパイプロイド事業部ディレクターの福留慶さんに<全3回>にわたって語っていただきます。
◆目次◆
<第1回>伝説の企画開発マン横井軍平氏が創業した「株式会社コト」の軌跡
<第2回>「パイプロイド」ディレクターが天職に行き着くまでの道のり
<第3回>世界で大人気!「MADE IN KYOTO」パイプロイドの魅力に迫る!
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<第1回>では、福留さんが株式会社コトに入社された理由をお伺いしました。ぜひ福留さんがここに至るまでの道のりをお聞かせください。
福留:
私は少し変わった経歴でして・・・(笑)
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ぜひお聞かせください!昔からデザイナーを志望されていたのですか?
福留:
私は幼い頃から「漫画家になりたい」と明確に思っていました。それは父の影響がかなり大きかったと思います。
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お父さんもデザイナーだったのですか?
福留:
いえ、全く関係のない仕事をしていたのですが、絵を描くのはめちゃくちゃ上手いんです。実家にあるアルバムの表紙に父が描いた「鷲の絵」が描かれているのですが、私はそれが売り物として元々描かれている絵だと思っていたくらいですから(笑)
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商品として見間違うほどの腕前なのですね。
福留:
いまだに私はその「鷲の絵」を超えたいと思って日々絵を描いています。いまだに勝てないですし、今後も一生勝てないかもしれません。それくらい上手な絵を幼少期に見ていたので、「お父さんの子供である自分にも絵の才能があるんだ」と自然と思うようになりました。
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お父さんの影響で幼い頃から「漫画家」を目指され、どのような進路を進まれたのでしょうか?
福留:
中学高校は普通の学校で、部活もバスケ部に入っていましたが、授業中はしょっちゅう机に好きなディズニーのキャラ絵を描いて遊んでいましたね(笑)
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クラスに一人はそういう子がいた気がします(笑)
福留:
物理のテストでも、テスト用紙の裏に先生が授業で言っていた印象的な話、たとえば「ニュートンがリンゴを見て万有引力を思いついた」といった話を漫画にして描いたことがありました。普通ならここで怒られると思うのですが、返ってきたテストの点数部分に「+5点」と書いてあって、漫画に点数をつけてくれたんです。
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すごく素敵な先生ですね。
福留:
その先生が私の担任で、卒業式に配られる卒業新聞制作の際には3年生を担任している先生7人分のプロフィールイラストも描かせてくれました。そうやって自分の絵を認めてくれる大人がいるのが本当に嬉しくて、さらに絵にハマっていきましたね。
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高校卒業後の進学はどうされたのですか?
福留:
京都精華大学のマンガ学科(現在はマンガ学部)に進学しました。私はてっきり大学でマンガを勉強さえすれば漫画家になれると思っていたのですが、その考えは入学早々に消えてしまいました(笑)
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大学で何があったのでしょうか?
福留:
マンガというからには当然少年漫画のようなものを学ぶのだと思っていたのですが、当時メインで教えられていたのは「風刺画」。そもそも私が思い描いているマンガではありませんでした。
(※現在の京都精華大学マンガ学部にはストーリーマンガを含めた多様なコースがあります。)
福留:
しかも、周りは私なんかと比べ物にならないくらい絵が上手い人ばかり。極めつけは、大学2年の頃から始めた漫画家アシスタントのアルバイト。有名な漫画家さんをお手伝いしたのですが、その方の絵の上手さやマンガに対する取り組み方のレベルの高さを見て、自分には到底無理だと挫折してしまいました。
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大学時代に挫折を味わわれたのですね。大学卒業後はどうされたのでしょうか?
福留:
少しの間は漫画家アシスタントを続けていたのですが、絵から離れようと決意し、先生が休載されたタイミングでアシスタントも辞めました。そこからは特に就職することもなく、絵とは関係のない色々なアルバイトをしていましたね。いわゆるプー太郎です(笑)
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何か転機になる出来事はあったのでしょうか?
福留:
いまの妻と当時から付き合っていたのですが、彼女の兄が政治家として出馬するということで、選挙カーの運転手を手伝ったことがありました。最初は運転だけしていたのですが、途中から絵が描けることを生かして宣伝用の似顔絵と4コマ漫画を描くようになりました。その取り組みがテレビでも取り上げられ、兄も当選を果たします。
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離れたはずの「絵描き」の経験が生かされたのですね。
福留:
とはいえ、それは期間限定のアルバイトなので、その後はまたプー太郎に戻ってしまいましたが(笑)。さすがにそろそろ就職しようと考えたときに、「子供」好きを軸に考えようと思い、保育士になりました。
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い、いきなり保育士ですか?免許は持っていませんよね?
福留:
もちろん持っていません(笑)。ですが、家の近くの保育園に面接に行き採用してもらいました。絵を生かして子供たちの誕生日には似顔絵を描いてあげたりすることができたので、子供たちも喜んでくれたんです。
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ここまでのお話ではなかなか株式会社コトに辿り着きそうにありません(笑)
福留:
保育士の仕事は1年ほど続けたのですが、結婚も見据えてゲーム制作会社に転職しました。デザイナーとしての就業経験はありませんでしたが、選挙活動や保育園で描いてきた絵を持参し、採用していただきました。そこで商品企画を経験したのちに、弊社に転職して今に至ります。
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まったく繋がりの無いキャリアに見えましたが、「絵」と「子供」という軸で繋がったのですね。
福留:
はい。結果的に「絵」と「子供」という軸で現在の仕事に繋がっています。しんどい道のりでしたが、今振り返ってみると無駄なことは無かったなと思いますね。
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紆余曲折を経てきたからこそ、仕事に対する思い入れも人一倍なのではないでしょうか。
福留:
「パイプロイド」に携われるようになった今は仕事が本当に楽しいですね。このような機会をくれている会社にもとても感謝しています。これからも子供に自信を持って勧められるような商品をたくさん作っていきたいと思っています。
◇◇◇◇
「パイプロイド」についてイキイキとした表情で語る福留さんからは、まさに天職として商品づくりに取り組まれていることが伝わってきました。商品で遊ぶ側も自然と楽しくなってきますね。
次回、パイプロイドの魅力と今後の展望について語っていただきます。
To be continued <第3回>世界で大人気!「MADE IN KYOTO」パイプロイドの魅力に迫る!
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