<第1回>5歳から模型メーカーを志した男。「エアロベース」創業物語

<第1回>5歳から模型メーカーを志した男。「エアロベース」創業物語

<第1回>5歳から模型メーカーを志した男。「エアロベース」創業物語

エアロベース

模型キットの企画開発・卸売

和歌山の模型メーカー「エアロベース」。

 

エアロベースがつくる模型は精巧で美しいのに、まるで折り紙のように接着剤を使わずに簡単に作ることができます。その革新的な商品は、子供から女性まで、幅広く人気を集めています。

 

今回のエピソードは、エアロベース代表取締役・岩見慎一さんに、<全3回>にわたって、創業のきっかけや商品に込められた思いについて語っていただきます。

 

◆◇◇◇

>:

まず、この業界を志されたきっかけをお教えください。

 

 

岩見:

私がプラモデル・模型を「提供する側」になりたいと思ったのは5歳のときでした。学校の前にあった模型屋さんで、近所のお兄さんが持ってきたプラモデルを見て感動したのがきっかけです。

 

>:

5歳から「提供する側」を志されていたんですか!

 

岩見:

幼稚園児のくせに、粘土で作ったものが左右対称じゃなかったり、すぐ壊れてしまうのが許せないタイプでした。プラモデルなら、子供がつくっても精密に、半永久的に残るものがつくれる。工業製品としてのプラモデルに魅力を感じていたんです。

 

>:

なるほど。

 

岩見:

そして、7歳のときには「プラモデルを作る仕事」から、「タミヤに入社したい」という具体的な思いに進化します。タミヤのカタログに載っているような見本を作る仕事をしようと。そんな仕事が本当にあるかも知らないのに。

 

>:

すごい、7歳で、、(笑)

 

岩見:

色々なメーカーのプラモデルを作る中で、タミヤの商品だけは何かが違うと感じていました。子供でも買える値段なのに、一切子供騙しじゃないクオリティだったんです。私は「子供騙し」が一番嫌いでしたので

 

>:

どこらへんに「子供騙しではない」と感じられたのでしょうか?

 

岩見:

まず、「もっとチャレンジしよう」と思わせてくれる余白を残していること。メーカーが全て手取り足取り完璧に教えるのではなく、少し足りない部分が残っていると、工夫してみようと思いますよね。

 

 

岩見:

加えて、デザイン。「子供は丸っこいものが好き。男子は青、女子は赤」と大人が決めつけがちなところを、タミヤの商品デザインは一切子供に媚びず、大人っぽかった。実際、私は子供なのにマルボロ(たばこ)みたいな大人っぽいデザインが大好きでしたから。

 

>:

タミヤさんの模型作りへの一貫した姿勢を感じますね。

 

岩見:

はい。タミヤ現社長の田宮俊作さんは、取材のために何ヶ月もヨーロッパに行ったおかげで博物館の方と仲良くなり、その関係が今も続いているという逸話があります。そんな姿勢を商品を通して子供ながらに感じていたんだと思います。

 

◇◆◇◇

>:

7歳からタミヤに入社を志されて、そのあと変遷はあったのでしょうか?

 

岩見:

高校生の頃には、タミヤに自分の腕を認めてもらいたいと思ってコンテストに作品を出していました。授業中もプラモデルを作っていたほどです。私は7歳から20歳まで、ずっとタミヤの受験勉強をし続けていたような学生でしたね。

 

>:

それだけ努力を続けることはすごいことだと思います。

 

岩見:

努力、でいうと、タミヤに入社して毎日8時間筆を持ち続ける「体力」が必要だと思い、映画を9時間ぶっ続けで見続けてみたり、11時間自転車をこぎ続けたりもしていましたよ(笑)

 

>:

(笑)。そして実際に夢だったタミヤへ入社されます。

 

岩見:

入社試験の時には希望の部署も決め、「ここにしか行きません!」という勢いでした。もちろん就職活動もタミヤ1社しか受けませんでした。

 

>:

落ちたらどうするつもりだったんですか?

 

 

岩見:

その質問は面接官にもされました。「自分に足りない部分を見つけて、もう一度来年来ます」と答えましたね。いま考えると、本当に世間知らずな子供で、よく採用してくれたなと思いますね(笑)

 

>:

タミヤ入社後はどのような仕事をされていたのでしょうか?

 

岩見:

希望どおり、商品カタログなどに掲載するための「完成見本」を作る仕事を担当しました。プラモデルだけでなく、その商品を表現するためのジオラマも作るようなお仕事です。

 

◇◇◆◇

>:

まさに念願だった仕事にたどり着かれたのに、退職された理由はなんだったのでしょうか?

 

岩見:

タミヤに入社して9年4ヶ月後、29歳のときに退職しました。きっかけは、27歳の時に、アメリカの模型コンテスト「IPMS/USA」で大きな賞をとったことでした。

 

>:

アメリカとの出会いがきっかけだった、ということでしょうか。

 

岩見:

そうですね。実はタミヤに入社する前にアメリカのモデラーと文通していたことがあり、その方はハリウッド映画の特撮用ジオラマを作っている人でした。

 

>:

映画の特撮用ジオラマは、岩見さんのやられていた仕事と通ずる部分がありそうです。

 

岩見:

私はスピルバーグなどの映画が好きだったので、いつかそういったものに関わる仕事もしてみたいなと漠然と思っていました。そんな話をコンテスト参加時にしたところ、とある特撮用ジオラマ製作事務所への就職を推薦していただいたんです。

 

>:

ハリウッド映画の特撮ジオラマ作りは、たしかにロマンがありますね。

 

 

岩見:

私はいてもたってもいられなくなって、まだその事務所の方に会ったことも無いのに、「タミヤを辞めよう」と思いたちました。いまアメリカに行くしかないと思ったんです。

 

>:

さすがの実行力ですね。しかし、長年の夢だったタミヤを去るのは相当な勇気がいりそうです。

 

岩見:

退職届を総務に届ける時には足が震えました。でも、田宮俊作さん(現タミヤ代表取締役社長)に退職のご挨拶をした際に言っていただいたことを今でも覚えています。「君はもっと大きな世界でチャレンジした方が良いから行きなさい。アメリカは厳しい世界だけど、もし何かあったとしてもタミヤアメリカに席を用意しておくから」と。

 

>:

それは嬉しいお言葉ですね。

 

岩見:

嬉しかったですね。その言葉のおかげで、なんとかなるだろう、と思い切ってチャレンジすることができました。

 

◇◇◇◆

>:

そこから、アメリカに渡られたのですか?

 

岩見:

いえ、推薦していただいた事務所が、「代表の母親の看病」を理由に突如営業中止してしまったんです。なんともアメリカ的ですが。

 

>:

仕事を辞めてしまったのに、行く先も無くなってしまいました・・。

 

岩見:

でもそれを機に、改めて自分が本当にやりたいことを見つめ直すことができました。たしかにハリウッド映画のスタッフロールに名前が載るのも名誉なことだけれど、それよりも、模型を初めて作った人に楽しいと思ってもらえるような仕事がしたい。

 

>:

まさにご自身が5歳の頃に感動された原体験ですね。

 

岩見:

私は作家ではなくメーカー向きのタイプなんですよね。自分の作品を賞賛されることよりも、模型という存在を知ってもらい、好きになる手助けがしたい。とはいえ、今さらタミヤに戻るなんて失礼で出来なかったので、「エッチング技術を活用した金属模型」を形にしてみようと考えました。

 

>:

エアロベースで作られている商品と同じコンセプトですね。

 

 

岩見:

エッチング技術を活用すれば、プラモデルでは再現出来ないような複雑な形状でも、折り紙式に簡単に作ることができます。試しに、1個作っていろんな方に見せてみたところ、「これはすごい!」と言ってくれました。

 

>:

そこから本格的に事業を立ち上げられたのですか?

 

岩見:

最初は会社を興す気はありませんでした。50個くらいなら売れるかな、くらいの気持ちでしたね。でも置いてもらえる店を回ってみると、「もちろんメーカーを興してちゃんとやるんだよね?」と聞かれて、反射的に「もちろんやります!」と答えてしまいました(笑)

 

>:

個人事業主として1996年に創業され、2006年には会社を設立されます。

 

岩見:

まさか自分が会社を経営するなんて、思ってもみませんでした。でも偶然が重なって、事業をここまで続けることができました。それもひとえに人との出会いと、支えてくれたお客様たちのおかげだと思っています。

 

 

◇◇◇◇

模型作りに対してどこまでも素直で、まっすぐな岩見さん。

 

エアロベースの商品には、そんな岩見さんの真摯な思いが凝縮されています。次回、さらにエアロベースのものづくりに迫ります。

 

To be continued <第2回>「作る喜び」と「美しさ」を持つエアロベースの模型作り

 

取材・文・写真:小縣拓馬

 

【是非Episoze公式SNSのフォローもお願いいたします。】

Twitterはこちら

Facebookはこちら

Cheer! を送る
4
<第1回>5歳から模型メーカーを志した男。「エアロベース」創業物語

エアロベース

模型キットの企画開発・卸売

エアロベースのエピソード