<第3回>つみ木「クミノ」で、森と人との新しいつながりをつなぐ

KUMINO
きぐみのつみ木
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ここまでクミノの製造工程や、クミノの魅力についてお伺いしてきました。今回はあらためて、井上さんがこの道に進まれるまでの経緯をお聞かせいただけますか?
井上:
私はもともと林業に漠然とした興味を持っていたこともあり、大学は滋賀県立大学で森林生態学を専攻していました。ちょうど里山保全活動が盛り上がっていた時代で、そういった活動に参加したのが木と初めて触れ合った原体験です。
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どういった活動をされていたのですか?
井上:
放置されている里山は、適切な間伐がなされていません。なので里山に入って、木を切ったりしていました。そのときに「木って切っていいんだな」と初めて知ったんです(笑)
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たしかに、普通に暮らしていると木を切るような機会はありません。
井上:
そうですよね。そこから私は「人と関わりのある山」というものに興味を持ち、修士課程では「過去に人と関わりのあった奥山」を研究対象としていました。
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奥山、といえばあまり人は立ち入らない山ですよね。
井上:
滋賀の奥山の多くは、昔は炭焼き(木炭をつくること)をしていた山です。しかし、燃料革命によって炭焼きはされなくなりました。人の関わり方の変化が、どのように植生に影響を与えたのかをテーマに、論文を書いていました。
井上:
山に入っては、沢をたどって「炭焼き窯」の形跡を探す生活。でも、山に一人でいても全然寂しくはなく、むしろ人の活動の痕跡を見つけるのが楽しかったことをよく覚えています。
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そこから卒業後も森林関係の仕事に就職されたのですか?
井上:
いえ。どうも就職活動というものが肌に合わなくて、卒業後に就職せずにニートをしていた時期がありました。ちょうど「ニート」という言葉が生まれた時代ですね(笑)
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そうだったのですね。
井上:
しかし、さすがに仕事が無いと暮らしていけないということで、とにかく一度会社に入ってみようと決心します。ハローワークに行き、「家から近い」を条件に絞って、最初に面接に行った会社に入社しました。なんともいい加減な話ですよね(笑)
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(笑)。どのような会社に入社されたのですか?
井上:
システム受託会社ですね。その会社で10年間、システムエンジニアとして働きました。仕事をしてみると結構楽しくて、お客様からも必要とされるやりがいも感じていました。
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退職されるきっかけが何かあったのですか?
井上:
父を病気で亡くしたのが、私の人生観を変えたきっかけかもしれません。闘病中の父が「もっとやりたいことがあった」と言っていたのを聞いて、「後悔の無い人生を歩みたい」と思うようになったんです。
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とはいえ、お子様もいらっしゃる中で、勇気のいる決断だったのでは無いでしょうか?
井上:
そうですね。会社を辞めたのが38歳の時でした。でも家族は「やりたい仕事をしたらいい」と応援してくれたので、一歩を踏み出すことができました。退職後、「森と関わる仕事がしたい」という思いで、大工の職業訓練校に入校します。
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職業訓練校ということは、卒業後は大工になるのが普通ですよね。
井上:
はい。でも勉強してわかったことは「1年の勉強では大工の仕事はできない」ということ。当たり前のことですが、なかなか大工という仕事で食べていけるようになるまでには時間を要します。そんなことを思っていたときに、クミノのアイディアを思いついたんです。
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卒業の2週間前に思いついたとおっしゃられていましたね。
井上:
日本には木がたくさんあるのに、なかなか建築に使ってもらえない。それは一般の方々が日本の木の魅力を知らない、という理由が大きいと思っています。おもちゃなら、商品単体で生活の中に自然と入り込んでいって、多くの人に木の魅力を伝えていけると思いました。
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日本の木製玩具市場も、ほとんどが海外製の木材を使用しているといわれています。
井上:
もったいないですよね。表面上のブランドや価格ではなく、身近な日本の山で生まれた木のおもちゃを子供たちに与える文化がもっとあってもいいと思います。子供の頃に日本の木に触れた体験があれば、大人になったときに他の場面で日本の木を使ってくれるかもしれません。
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だからこそ、ブランド杉なのではなく、身近な山の木を使われているのですね。
井上:
もちろんブランド杉で作られた美しいものも良いと思います。けれど、身近な山でとれた木だからこそ、感じてもらえる価値があると思っています。いま地元の幼稚園でクミノを使っていただいているのですが、追加で要望をいただくなど好評をいただいております。
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では最後に、クミノで今後成し遂げたいことをお聞かせください。
井上:
この商品は届けるところに届けたら、絶対に玩具として楽しいし、他の玩具では出来ない体験ができると確信しています。なので、まずはたくさん製造する体制を作っていきたいですね。
井上:
そのうえで、最終的には、100年後でも子供達に愛される、世界的なつみ木の「第三極」のブランドとして育てていきたいです。
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「第三極」、とはどういった意味でしょうか。
井上:
今年、ドイツの玩具見本市に出品したときに、その町のおもちゃ博物館を訪ねました。そこには100年以上前に遊ばれていた、フレーベル(幼稚園を世界で最初に創設した人物)が考えたつみ木が飾られていました。その形はいまも変わることなく愛され続けています。
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100年以上愛され続けるというのはすごいことです。
井上:
それだけつみ木というのは普遍性がある玩具なのだと思います。同様にフランスで生まれたKAPLAも、一見ただの一枚の板に見える積み木ですが、世界中で愛され続けています。
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フレーベル、KAPLAに続くという意味で「第三極」なのですね。
井上:
はい。クミノはこれらのつみ木にはない「組む」という普遍的なアイディアを持ち込みました。最低3本あれば前後の動きを固定できる、絶妙な比率で設計されています。
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そして、木の産地へのリスペクトも込められています。
井上:
そうですね。「森と人との新しいつながりをつくる」。クミノを通して、このコンセプトを成し遂げていきたいと思っています。
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単なるつみ木という存在を超えて、「森と人との新しいつながりをつくる」ことが出来たとき、クミノはきっとつみ木の「第三極」として、世界的に愛される商品になるのかもしれません。
つみ木のプレゼントを考えられたときには、ぜひ「クミノ」も候補にいれてみてください。きっと、木の新しい価値を体感できるはずです。応援します!Cheers!
(おわります)
取材・文・写真・映像:小縣拓馬
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